教育委員コラム

ID番号 N2495

更新日:2024年04月01日

令和6年4月

田んぼとタケノコ

    春が近づくと菜の花や梅の花のニュースが届き、土筆が顔を出し、桜の花が咲き始めます。それに前後してタケノコが頭を出します。田んぼも稲作の準備が始まります。その中に数年前に休耕田になったと思われる田があります。初めは丈の低い草が、次に丈の高いセイタカアワダチソウやススキなどが、そして、とうとうヤナギ類の木々が繁るようになってしまいました。こうなると周りの田や人家にもよくない影響が出ますし、もう元の田んぼに戻すことは難しくなります。
    タケノコは掘ってきて、食べると美味しいですが、掘るのを怠けていると、あっという間に竹林になってしまいます。丘陵地の畑だったところに隣の竹が地下茎を伸ばして侵入してきます。畑を耕作しているうちはタケノコをありがたく頂いていますが、耕作をやめてそのままにしておくと、田んぼと同じように畑にどんどんタケノコが生え、やがては人が中へ入ることが難しくなるほど密生した竹林になってしまいます。ちょっとした広さの孟宗の竹林だと毎年約500本から1000本くらいタケノコが出ます。一部は掘って食べるとしても後は大きくなる前に倒さなければなりません。大変な労力が必要です。
    このように休耕田や竹林の例でもわかりますが、良い状態を保っていくためには人の手が必要です。身近な公園も年に数回草刈りをして使いやすい状態に保っています。日進市の豊かな自然を保っていくことができるのは、私たちの気付かないところで多くの人の努力があるからです。市内の学校には、山や竹林、田畑を持っているところがあります。それらを題材にした学習を通して、豊かな自然を守っていくためには、自分たちに何ができるかを考えるきっかけにしてほしいと思います。

令和6年4月 教育委員 武田立史

令和6年2月

今こそ、一緒に考えてみませんか?!

    時代は繰り返される!とよく言われますが、なぜ繰り返されるのでしょうか。その理由はさまざまだとは思います。戦争でいえば、戦争を体験した世代がいなくなり、身近に戦争の悲惨さを伝える人がいなくなることが原因かもしれません。
    学校でいえば、昭和の終わりから平成の初めにかけて「校内暴力」「学校が荒れる」時代がありました。今や教員自身が「平穏な学校生活を送り」「教員になってからも落ち着いた?学校で教員生活を送っている」世代がほとんどになってきました。
    しかし、今の時代は「暴力」「反抗」等という「エネルギーが表に出て来る」時代ではなく、「不登校」「引きこもり」等の「エネルギーが中に籠る」時代なのかもしれません。
    「熱血先生」がドラマになり、その先生に憧れて先生になった時代は終わりました。その「熱血指導」が「うざい?」「暑苦しい?」と言われたり、時には度が過ぎて、保護者からお小言をいただいたりすることも多くなってきました。
    時代は「常に流れている」のですが、時代は「姿・形を変えて繰り返す」ものだと思っています。今の時代、姿・形を変えた子どもたちに「どのように接していったらよいのか?」を学校だけでなく、家庭でも地域でも一緒に考えてみるときが来ている!と切実に感じているのは、私だけでしょうか?

令和6年2月 教育長 岩田憲二

令和5年12月

数十年ぶりの懇親・同窓会に出席して

    長年勤めていた仕事から解放され、時間に余裕が出来たことから同郷中学校出身者の同期や先輩・後輩の懇親会に関西まで出掛け参加してきた。卒業後数十年ぶりに再会する人など懐かしさとお互い容姿の変わり様に戸惑いを覚えた楽しい一日を過ごした。皆の話題は、どうしても小学校・中学校の思い出に一番盛り上がり、また、田舎の伝承文化行事の獅子舞や八幡宮秋祭りの行列風景など話題は尽きることがなく鮮明に思い浮かんでいた。
    後半から、それぞれ同期別の会になった。話の中心は思い出深かった中学校の部活動になった。連日熱心に取り組み打ち込んだ部活動は、それぞれが運動部や文化部に参加し、共通の目標と目的を持って楽しんでいたと思う。私も球友と思い出すのは、運動音痴といっても過言ではない数学の先生が顧問だったことだ。野球経験もなく指導方法など大変苦労されていたと思う。しかし、個々の自主性や特性を大事にした操縦術は上手だった。また、いつも全力投球の熱意と真剣な取り組みには胸を打たれ頭が下がる思いだった。素晴らしい教員に出会い、私が教員として指導者を目指すきっかけを与えてもらったと思っている。野球経験もなかった熱心な顧問橋本先生、また、今で言う外部指導者であった町内在住の獣医師松木先生の影響など恵まれた環境で育ったような気がする。部活動には大きな意義があり、人格形成・友情・目標に向かうための協調性や達成感を培ってくれたと思っている。特に、中学校での部活動は、異学年集団で仲間との交流があり同期生、先輩、後輩の垂直的な良き交友関係が生まれる。試合結果に一喜一憂しながら、また、部活動から培われた人間関係などが私自身に大きく影響を与え、豊かにしてくれた青春時代だったと思う。
    昨今の現状を想うと、学校単位での活動から合同部活動の実施も考慮とある。特に、運動部(集団スポーツ)離れの加速に対して、危惧の念を抱かないでもない。

令和5年12月 教育委員 小林秀一

令和5年10月

メンタルヘルス

    この頃、人に会うと「最近、いいことありましたか?」と尋ねることにしている。大概の返事は「何もないね」である。日本人特有の習性なのかもしれないが、「こんな良いことがありましてね」と話し出す人は少なく、むしろ苦労話に花が咲くことの方が多い。人間の脳は生命体としての危機管理のためか、損失を強く記憶する傾向にあると言われている。良いことよりも嫌なことの方が記憶に残ってしまうのかもしれない。
    1日の終わりに3つの良かったことを思い出し、できればどうしてそうなったのかを書き出すとよいと教えてもらった。やってみると確かに簡単ではないが、慣れてくると日常の小さな幸せに目が留まるようになってくる。「ポジティブ心理学」という流れが近年注目されており、トヨタなどの巨大企業におけるメンタルヘルスの分野でも取り入れられている。先ほどの3つの良いこと(Three Good Question)もその心理学で用いられる具体的な手法の一つである。これまでの心理学は、ある人の状態で欠けているところに注目し、その原因や状況を分析し、それを修正したり、補填したりすることによって「正常な状態」に導くことで解決しようとしてきた。一方で、ポジティブ心理学では、その人のできているところである「強み」に注目し、それを本人に気づかせ、伸ばしていくことで、よい状態に導いていくそうだ。心理学の最終目標は、治療ではなく、人生における幸福を自覚させることにあるという理念に基づいている流れらしく感心させられた。
    今年の4月から校内ハートフレンドが市内の二中学校でスタートしている。今まで校外にあったものをわざわざ校内に持ち込こんでも効果があるのかと訝る声も聞かれると思う。校内ハートフレンドには経験豊富な先生たちと先ほどのような心理学を専攻しているカウンセラーが待機している。私は、ぜひとも居場所がなくて苦しんでいる児童生徒だけでなく、一見正常に学校生活を送れている児童生徒にも、利用できる「場」になればよいと思っている。巨大企業がメンタルヘルスに関心を持ち始め、ストレスのかかる経営者たちは個別にカウンセリングを受けるのが当たり前になりつつある社会に出る前に、児童生徒が自分のメンタルと素直に向き合い、サポートを受ける必要があると私は思う。だから校内ハートフレンドに大いに期待したい。
    普段の緊張感のある学校生活から少し抜け出して、家庭環境にも左右されず、自分の心の中にこんな「強み」があったということに気がつく経験を多くの子供たちにしてもらいたい。そうすれば、義務教育という“過保護な”環境から出ても、しなやかに強く対応できる人間になってくれるのではないかと思う。

令和5年10月 教育委員 伊藤志門

令和5年8月

心が豊かになる出会いを

    皆さんは、これまで、どれだけの人と出会ってきましたか?
    年齢を重ねるほど、出会った人は数え切れないことでしょう。
    出会い方も様々で、たった1度の出会いもあれば、人生が大きく変わるような出会いもあります。中には、事情があって会うことが出来なくなってしまった人もいれば、出会ったことで傷つき、涙を流すような経験をすることもあると思います。
    しかし、人は人と出会わずに過ごすことは出来ません。だからこそ、人生も心も豊かに出来るような出会いを多くしたいと思うものです。
    私自身、早いもので、教育委員として、8年の月日が経ちました。その間に、様々な学校訪問、イベントにおいて、多くの出会いがありました。その出会い一つ一つが心を豊かにし、こののちの人生においても、私自身の糧となっていくものだと思っています。
    教育委員としてそのような出会いが出来たことを多くの皆さまに感謝をし、今後も日進市の教育行政が、多くの素晴らしい出会いによって、充実していくことに期待しております。
    そして、なにより、未来ある日進市の子どもたちに、心豊かになる出会いがあることを願っています。

令和5年8月 教育委員 藤井美樹

令和5年6月

住みよい街に

    朝のテレビで植物が紹介されている番組があります。あの主人公にはほど遠いけれど私も草に熱中していたころを思い出します。草の名前を覚え始めたころ、私が幼い時に遊んだ草にも正式な名があることを知りました。衣類に付くと取れにくいくっつき虫は、オナモミ、アレチヌスビトハギなど。また、穂を抜き取り葉を折って口にくわえて吹くと音が出るピーピー草は、スズメノテッポウ。体験があるものは早く覚えられました。
    最近、歩道に生えている草取りをしました。歩道と車道の間にある縁石に沿ってススキやチガヤが生え少し大きくなっていました。はじめは1センチくらいの隙間に這っていた根が、いつの間にかアスファルト舗装を砕いて根をはり30センチくらいの株になっていました。私は鍬のような道具で根を少しずつ切り、取り除いていました。その時、駐車場に車が入ってきて運転手が降りるなり、私のすぐ近くで𠮟責の声。思わず私が叱られたのかなと思い顔を上げたら、そうではなくて自分の子どもを注意したようでした。やれやれ。その少し前に小学生の付添下校で通りかかった見守り隊の方からは、「ご苦労様です」と労いの声。その後で、分団から分かれた小学生が1人で帰って来たので、早速、「こんにちは」と声を掛けました。その子は、ちらっとこちらを見て黙って通り過ぎました。知らない人に声をかけられても関わらないようにという学校の指導が行き届いているのでしょうか。
    海外の国の中には、自分の家の前の道路は責任をもってきれいにするという話を聞いたことがあります。日進市も家の前に生えている草を取ったりごみを拾ったりとみんながやっていくときれいな街になると思います。また、どんどん新しい人が入ってくる日進市です。どんな人にも出会ったら挨拶だけはするともっと安全で安心な住みよい街になると思いました。

令和5年6月 教育委員 武田立史

令和5年4月

本音の居場所

    子どもへのスマホの影響として、情報モラルに関わることや長時間使用による健康被害などさまざまな問題が挙げられています。しかし、スマホ自体は単なるツールであるため、使い方さえ誤らなければ悪いものではありません。そのツールを使いこなすのが若者は得意です。道端に咲いた小さな花や茜色(あかねいろ)に染まる雲などに、スマホのカメラを向ける姿をよく見かけます。彼らは自分が心を動かされた事象を見逃すことなく大切にすくい取り、インスタグラムなどのSNS上で共有しています。
    そして今、若者たちの間で空前絶後の短歌ブームが起こっているそうです。かつて歌集「サラダ記念日」で一世風靡(いっせいふうび)した俵万智をもうならせるほどの短歌を、素人の若者たちが詠んではSNSを使って発表しているのです。中には中学生や高校生もいます。短歌は、三十一文字の中にどのような風景や心情を込めるか、どんな言葉を選ぶかでその人の感性が問われます。
    そのような中で多くの共感を生むのが、悩みや辛さなどの鬱屈とした感情を詠み表した作品です。SNS上でなら、自分の正体を明かさずに本音を言うことができます。思わず、教室で周囲の視線が気になってしまい、困ったことや辛いことも口に出せずに「普通の顔」をして過ごしている子どもたちの姿が頭をよぎりました。自分を押し殺すというのはどんなに苦しいことでしょう。表情や言葉から推し量るのは難しいことですが、先生方には多感な時期にある子どもたちの心に寄り添う姿勢を持ってほしいと思います。そして教育活動を通して、文学や美術、音楽にとどまらない、それぞれが吐き出しやすい表現や手段を見つける機会を与えていきたいものです。

令和5年4月 教育委員 市来ちさ

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