2023年6月25日 古窯講座「香久山古窯から学ぶやきもののルーツ」

ID番号 N14698

更新日:2023年07月06日

地元の焼き物の歴史を知る

市指定文化財の香久山古窯(すずかぜ公園地内)で施設公開期間の6月25日、愛知県陶磁美術館学芸員の大西遼さんによる古窯講座「香久山古窯から学ぶやきもののルーツ」が開催されました。当日は定員30人のところ、32人のさまざまな世代が集まりました。
参加者は用意された資料や窯跡を見ながら、猿投窯の歴史や香久山古窯の特徴などについての解説に終始熱心に耳を傾け、知識を深めました。
屋外に人がたくさん集まっている写真

資料を見ながら説明を聞く参加者

猿投窯は、正式名称を猿投山西南麓古窯群という、名古屋市東部から豊田市辺りまでに広がる窯跡の集合体です。猿投窯では、1,500年前の古墳時代から鎌倉時代が終わる頃までの間焼き物が作られ、窯跡は1,000カ所以上見つかっています。日進市内でも70~80カ所の窯跡が確認されています。猿投窯は鎌倉時代で焼き物作りを終えているためあまり知られていませんが、常滑焼や瀬戸焼のルーツとなる重要な窯です。
大西さんは、資料の地図や出土品の写真などを示しながら、猿投窯が名古屋市の東山地区辺りから始まり東部へ広がっていったことや飛鳥、奈良時代には焼き物を広域に供給するようになり、現在の長久手市丁子田、市が洞辺りで作られた焼き物が7世紀の飛鳥の都で使われていた事などを分かりやすく解説します。
マイクを持つ講師の写真

講師の大西遼さん(愛知県陶磁美術館学芸員)

香久山古窯は、山の斜面を掘り抜いて天井部分を作った穴窯です。窯の下部にある焚口に薪を大量に置いて燃焼室で薪を焚き、中央部で焼き物が焼かれ、上部から煙が抜けていく構造です。天井部分はもろいため残っていませんが、「前庭から煙出しまで残っている貴重なものです」と大西さん。
焚口の奥に炎を分ける柱と書いて分焔柱(ぶんえんちゅう)があります。これは、窯の中に炎が均一に回るように工夫されたものだそうです。分焔柱は9世紀の終わり頃の窯からはよく見かけるようになるそうですが、香久山古窯には9世紀初め頃にすでにあったとされています。猿投窯の中では窯の改良の一端を担っていたのではないかということです。
大西さんは、他にも窯は数十年で使われなくなり場所を移動していくことや出土された焼き物の特徴やどのように使用されていたかなど、興味深い内容を分かりやすく解説していきました。
講座が終わった後もしばらくの間、参加者が大西さんに話しかける姿がありました。
窯跡を指さす講師とそれを見る人たちの写真

実物を見ながら説明を聞きます

参加者に話を聞くと、「楽しかった」や「話がとても分かりやすかったし、時間もちょうど良かった」ととても好評でした。参加者は陶器や窯跡に興味がある人はもちろん、「以前見た愛知県陶磁美術館での大西さんのイベントが良かったので、今日ここで講座がある事を知って来ました」という人や「陶芸を学んでいて、ちょうど猿投窯を習ったところだったので」と仲間と一緒に来ている人などもいました。
講座の最後に「天井はどのくらいの高さだったのか」という質問がありました。大西さんは「しゃがんで作業するくらいの高さしかなかったと考えられます」としたうえで、愛知県陶磁美術館には天井部分が残っている貴重な窯跡がある事を紹介しました。しかし、現在改修工事に伴い休館期間中とのことです。2025年4月のリニューアルオープンが待ち遠しくなりますね。
香久山古窯の公開は6月まででいったん終了しますが、10月から11月まで毎週日曜日に公開されます。(ふ)
窯跡の写真

香久山古窯全景

柱状の突起の写真

分焔柱(ぶんえんちゅう)

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