2019年12月21日 岩崎城歴史講座

ID番号 N9206

更新日:2020年01月15日

流行病(はやりやまい)の歴史、日進の事例

<市民スタッフ 三鬼一朗>
岩崎城歴史記念館の歴史講座が12月21日に開かれ、今年度第4回となるこの日は「流行病の歴史」をテーマに村田信彦記念館学芸員が古代から江戸時代まで約1300年間の感染症の歴史を解説しました。治療法や薬がない時代に人々は恐怖の疫病にどう向き合ったのか、日進市の神社やお寺に残されている史料も読み解きながら紹介しました。

「流行病は古代から猛威を振るってきました」と村田学芸員

「流行病は古代から猛威を振るってきました」と村田学芸員

始めに村田学芸員は「お(やく)三病」と呼ばれた古代からの流行病「疱瘡(ほうそう)天然痘(てんねんとう))」「麻疹(ましん)(はしか)」「水痘(すいとう)水疱瘡(すいほうそう))」を説明し、一生に一度しかかからないこれらの伝染病をどう切り抜けるかが人々の最大の願いだったというのです。
天然痘の最も古い記録は7世紀の『日本書紀』にあり、仏教伝来の6世紀中ごろに日本に持ち込まれて以降、幕末期に種痘(しゅとう)が実施されるようになるまで流行が止むことはなく、多くの人が幼少期に罹患(りかん)していたといいます。また、はしかも定期的に大流行し、1708(宝永5)年には5代将軍徳川綱吉も感染して落命。「流行性感冒」とも言われたインフルエンザは、記録として残る862(貞観4)年以降たびたび大流行し、多くが、外国との窓口であった長崎から東に広がったそうです。

メモを取る手を止め、説明に聞き入る参加者

メモを取る手を止め、説明に聞き入る参加者

日本では古代から流行していた3つの伝染病に対し、幕末期に突如はやったのがコレラです。インドの風土病が黒船来航時に持ち込まれ、あっという間に広がります。人口100万人の江戸で数万人が亡くなったとみられ、人々を恐怖のどん底に陥れました。
村田学芸員は、こうした疫病が感染する病気と分かっても人々には対処の仕方が分からず、神仏に祈願するか、まじないに頼るしかなかったといいます。平安時代から室町時代に計14回も年号を改めたり、奈良に大仏が建立されたのもその表れで、源為朝(ためとも)が島流しされた八丈島で疱瘡神を追い払ったという伝説から、その絵を家々に貼り、悪神が入ってこないことを祈ったそうです。
歴史講座の会場では聴講する10人が熱心にメモを取り、次々と展開する話に心を奪われているようでした。村田学芸員は日進に残る江戸時代以降の感染症に関わる史料を説明して90分間の講座を締めくくりました。
「白山宮(本郷町)に残る祈祷の記録の中に、インフルエンザが大流行した1827(文政10)年に村の疫病神を追い出す『茅の輪くぐり』を行うことや、眺景寺(ちょうけいじ)(梅森台)の過去帳にある1743(寛保3)年の旧浅田村の弔いに感染症が疑われるものがあります。しかし、日進の村々は人の行き来が少ない農村であったが故に、伝染病が持ち込まれることはほとんどなかったと思われます」。

天然痘の悪神を追い払うために飾られた絵

天然痘の悪神を追い払うために飾られた絵

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