過去の教育委員コラム

ID番号 N18202

更新日:2025年04月01日

令和6年12月

「適当」

人間は、とても「適当」にできています。
 理科の授業では、よく子どもたちに伝えていましたが、人間は「適当な視力」を持っているために「モノをモノとして認識できる」ということです。顕微鏡のような精度でモノが見えたら?ひょっとしたら、微生物やウィルスが良く見えてしまい気持ちが悪くなるかもしれません。さらに精度の高い電子顕微鏡のような精度になると、「分子や原子」が見えたり、モノがモノとして認識できず「波動や揺らぎ」としてしか認識できなかったりすると言われています。
 すなわち、人間の体の中を突き詰めたミクロの世界も「小さな宇宙」であり、「実際の宇宙」と同様に一定の距離を取りながら外から俯瞰して見たり考えたりしなければ、何が「モノ」で何が「空間」なのかもわからない世界になってしまうのですね。
 そう考えると、人間の「適当な視力」が生きていくうえで如何に大切なのかが分かります。視力が「適当」だからこそ「モノ」として見えるのです。細かすぎると見たくない「モノ」まで見えてしまうし、大まかすぎると見たい「モノ」が見えないのです。「人間」という生き物は、あらゆる「能力」において「適当」な能力を持っていると言われています。神が与えた「奇跡の能力」という人もいます。私は、この奇跡の「適当」な能力に感謝しながら生きていきたいと考えています。

令和6年12月 教育長 岩田憲二

令和6年10月

スポーツが与える感動と魅力

セーヌ川が舞台の派手な開会式から始まったパリ五輪、連日深夜まで楽しませてもらった。17日間の日程を終え、日本選手団は金メダル20個と大活躍、メダル総数も歴代2位の45個を獲得するメダルラッシュに沸いた熱いこの夏だった。
 感動のパリ五輪で印象深い出来事は、やはり陸上女子フィールド種目やり投げの北口榛花選手を一番に挙げたい。また、団体での体操競技や卓球などチーム力のまとまりと各個人の役割を十分に発揮し栄光をつかんだ選手達の身体能力と精神力の強さに心から敬意を払いたい。一流アスリートの必須条件は、運動能力は勿論のこと豊富な練習量・精神力の強さ・忍耐力・状況の分析や諦めない心を挙げている。
 特に、北口選手は学生時代に単独でやり投げ王国チェコに渡る決断をし、今回の金メダリストに。幼少時代からスポーツに親しみ、小学校では筋力も無くごく普通の選手だが、負けず嫌いな少女だったそうだ。中学では、一つの種目だけでなく水泳やバドミントンの二足のわらじで活躍、それでも全国大会に出場している。そして、やり投げ競技との出会いは高校時代だそうだ。このように小・中学校時代のスポーツ経験は、何事があっても諦めない心や精神力で頑張ることの大事さを学び、今後の大きな成長の糧になっていったと思う。
 今の部活動状況をみると、学校から地域移行へ方針転換していく現状に、運動する子供とそうでない子供の二極化が見られるようだ。これから関係される地域指導者のご協力と熱心な指導を期待したい。同時に学校での部活指導離れが心配されている中で、先生方の積極的な参加をお願いしたい。スポーツの素晴らしさや人間形成にも貢献し、誰もが楽しめ、人生を豊かにしてくれるスポーツ(気晴らし・遊び)を推し進めて頂きたいと思う。

令和6年10月 教育委員 小林 秀一

令和6年8月

生涯にわたる文化の醸成

教育委員を引き受けてから、いろいろな経験をさせていただいた。そのうちの一つが日進市文化協会所属の連盟展等への参加である。毎年、春と秋に市民ホールで開催され、「音楽」「舞踊」「絵画」「華道」「書道」「手芸」「写真」「盆栽」など幅広く、日進市内で活動されている方々の力と想いのこもったパフォーマンスが発表される。すべての展覧に参加できたわけではないが、これまであまり触れてこなかった「文化」に久しぶりに対面できる時間がもらえている。
  小学生の頃の私は、いわゆる主要教科といわれる科目は得意であったが、体育や音楽は苦手、美術や書道は好きではあったが優秀というわけではなかった。良い成績が付かないひがみからか、受験に必要のない科目を学ぶのは無意味ではないかとか、正解のない多様な感性が問われる芸術に成績がつけられることにも疑問を持ったまま過ごしてきた。
  今、私は人生の終末期を迎える方の自宅へ訪問する機会が多い。先日、がんの末期を迎えられた年配の男性のご自宅を訪問した際に、その方が学生時代に京都でドイツ哲学にはまっていたことや、銀行マンとして頑張ってきたことなどを明るく話す時間が持てた。一方で、ふと枕元のモーツアルトのCDが目に留まり、訪問したドイツで購入したというバイオリンも壁にかけてあった。ほどなく最後の時を迎えられたのであるが、臨終の場にモーツアルトが流れていて、とても穏やかな空気が流れていたのが印象に残っている。また、ある認知症の女性の部屋には、その方が書いた「書」がかかっており、本人は「これは誰の作品かね」といっていたりもする。
  コロナ禍にあって、音楽や美術は真っ先に切り捨てられた。しかし、人間にとって本当に最後まで必要なものは「文化」ではないかと思う。医療も健康維持のためには必要ではあるが、終末期を迎える人やその家庭に「豊かさ」を与えるのは、「芸術」だと最近感じさせられている。そのような文化や芸術を醸成するには、人生を通じた普段からのつきあいが必要だ。多忙な日常生活で文化的余裕が排除されつつある家庭の中では触れる機会が少ない「文化・芸術」を紹介していくことは大切な教育であり、きっかけ作りであると、美術科目へのとまどいを持っていた学生時代の自分に答えてあげたいと思う。

令和6年8月 教育委員 伊藤志門

令和6年6月

教育委員になってみて

  教育委員になって半年が経ちました。
  保護者として、子どもを毎日当たり前のように学校へ通わせていましたが、それが教育委員会をはじめ、学校の先生や地域の方々のおかげだということを改めて感じました。 教育委員になる前は、教育委員会について、生真面目で保守的な運営をしているというイメージを持っていましたが、その認識が変わっただけでも、教育委員になってよかったと思っています。
  特に驚いたのは授業の内容です。私が学生だった頃とは大きく変わっていました。
  タブレット学習の導入、男女一緒に行う体育の授業、そして授業中の発表の活発さに驚かされました。特に印象的だったのは、子どもたちが自分たちでタブレットを使って発表資料を作成し、その資料を基にクラスの前で発表する姿です。
  大人でも人前で自分の考えを話すのは難しいと感じる人が多いと思います。私自身もその一人なので、子どもたちが一生懸命に頑張っている姿を見て、非常に感心しました。
  保護者代表の教育委員の一員として、日進市の教育に貢献できるよう努めて参ります。

令和6年6月 教育委員 𠮷田優香理

令和6年4月

田んぼとタケノコ

    春が近づくと菜の花や梅の花のニュースが届き、土筆が顔を出し、桜の花が咲き始めます。それに前後してタケノコが頭を出します。田んぼも稲作の準備が始まります。その中に数年前に休耕田になったと思われる田があります。初めは丈の低い草が、次に丈の高いセイタカアワダチソウやススキなどが、そして、とうとうヤナギ類の木々が繁るようになってしまいました。こうなると周りの田や人家にもよくない影響が出ますし、もう元の田んぼに戻すことは難しくなります。
    タケノコは掘ってきて、食べると美味しいですが、掘るのを怠けていると、あっという間に竹林になってしまいます。丘陵地の畑だったところに隣の竹が地下茎を伸ばして侵入してきます。畑を耕作しているうちはタケノコをありがたく頂いていますが、耕作をやめてそのままにしておくと、田んぼと同じように畑にどんどんタケノコが生え、やがては人が中へ入ることが難しくなるほど密生した竹林になってしまいます。ちょっとした広さの孟宗の竹林だと毎年約500本から1000本くらいタケノコが出ます。一部は掘って食べるとしても後は大きくなる前に倒さなければなりません。大変な労力が必要です。
    このように休耕田や竹林の例でもわかりますが、良い状態を保っていくためには人の手が必要です。身近な公園も年に数回草刈りをして使いやすい状態に保っています。日進市の豊かな自然を保っていくことができるのは、私たちの気付かないところで多くの人の努力があるからです。市内の学校には、山や竹林、田畑を持っているところがあります。それらを題材にした学習を通して、豊かな自然を守っていくためには、自分たちに何ができるかを考えるきっかけにしてほしいと思います。

令和6年4月 教育委員 武田立史

令和6年2月

今こそ、一緒に考えてみませんか?!

    時代は繰り返される!とよく言われますが、なぜ繰り返されるのでしょうか。その理由はさまざまだとは思います。戦争でいえば、戦争を体験した世代がいなくなり、身近に戦争の悲惨さを伝える人がいなくなることが原因かもしれません。
    学校でいえば、昭和の終わりから平成の初めにかけて「校内暴力」「学校が荒れる」時代がありました。今や教員自身が「平穏な学校生活を送り」「教員になってからも落ち着いた?学校で教員生活を送っている」世代がほとんどになってきました。
    しかし、今の時代は「暴力」「反抗」等という「エネルギーが表に出て来る」時代ではなく、「不登校」「引きこもり」等の「エネルギーが中に籠る」時代なのかもしれません。
    「熱血先生」がドラマになり、その先生に憧れて先生になった時代は終わりました。その「熱血指導」が「うざい?」「暑苦しい?」と言われたり、時には度が過ぎて、保護者からお小言をいただいたりすることも多くなってきました。
    時代は「常に流れている」のですが、時代は「姿・形を変えて繰り返す」ものだと思っています。今の時代、姿・形を変えた子どもたちに「どのように接していったらよいのか?」を学校だけでなく、家庭でも地域でも一緒に考えてみるときが来ている!と切実に感じているのは、私だけでしょうか?

令和6年2月 教育長 岩田憲二

令和5年12月

数十年ぶりの懇親・同窓会に出席して

    長年勤めていた仕事から解放され、時間に余裕が出来たことから同郷中学校出身者の同期や先輩・後輩の懇親会に関西まで出掛け参加してきた。卒業後数十年ぶりに再会する人など懐かしさとお互い容姿の変わり様に戸惑いを覚えた楽しい一日を過ごした。皆の話題は、どうしても小学校・中学校の思い出に一番盛り上がり、また、田舎の伝承文化行事の獅子舞や八幡宮秋祭りの行列風景など話題は尽きることがなく鮮明に思い浮かんでいた。
    後半から、それぞれ同期別の会になった。話の中心は思い出深かった中学校の部活動になった。連日熱心に取り組み打ち込んだ部活動は、それぞれが運動部や文化部に参加し、共通の目標と目的を持って楽しんでいたと思う。私も球友と思い出すのは、運動音痴といっても過言ではない数学の先生が顧問だったことだ。野球経験もなく指導方法など大変苦労されていたと思う。しかし、個々の自主性や特性を大事にした操縦術は上手だった。また、いつも全力投球の熱意と真剣な取り組みには胸を打たれ頭が下がる思いだった。素晴らしい教員に出会い、私が教員として指導者を目指すきっかけを与えてもらったと思っている。野球経験もなかった熱心な顧問橋本先生、また、今で言う外部指導者であった町内在住の獣医師松木先生の影響など恵まれた環境で育ったような気がする。部活動には大きな意義があり、人格形成・友情・目標に向かうための協調性や達成感を培ってくれたと思っている。特に、中学校での部活動は、異学年集団で仲間との交流があり同期生、先輩、後輩の垂直的な良き交友関係が生まれる。試合結果に一喜一憂しながら、また、部活動から培われた人間関係などが私自身に大きく影響を与え、豊かにしてくれた青春時代だったと思う。
    昨今の現状を想うと、学校単位での活動から合同部活動の実施も考慮とある。特に、運動部(集団スポーツ)離れの加速に対して、危惧の念を抱かないでもない。

令和5年12月 教育委員 小林秀一

令和5年10月

メンタルヘルス

    この頃、人に会うと「最近、いいことありましたか?」と尋ねることにしている。大概の返事は「何もないね」である。日本人特有の習性なのかもしれないが、「こんな良いことがありましてね」と話しだす人は少なく、むしろ苦労話に花が咲くことの方が多い。人間の脳は生命体としての危機管理のためか、損失を強く記憶する傾向にあると言われている。だか、良いことよりも嫌なことの方が記憶に残ってしまうのかもしれない。
    1日の終わりに3つの良かったことを思い出し、できればどうしてそうなったのかを書き出すとよいと教えてもらった。やってみると確かに簡単ではないが、慣れてくると日常の小さな幸せに目が留まるようになってくる。「ポジティブ心理学」という流れが近年注目されており、トヨタなどの巨大企業におけるメンタルヘルスの分野でも取り入れられている。先ほどの3つの良いこと(Three Good Question)もその心理学で用いられる具体的な手法の一つである。これまでの心理学は、ある人の状態で欠けているところに注目し、その原因や状況を分析し、それを修正したり、補填したりすることによって「正常な状態」に導くことで解決しようしてきた。一方で、ポジティブ心理学では、その人のできているところである「強み」に注目し、それを本人に気づかせ、伸ばしていくことで、よい状態に導いていくそうだ。心理学の最終目標は、治療ではなく、人生における幸福を自覚させることにあるという理念に基づいている流れらしく感心させられた。
    今年の4月から校内ハートフレンドが市内の二中学校でスタートしている。今まで校外にあったものをわざわざ校内に持ち込こんでも効果があるのかと訝る声も聞かれると思う。校内ハートフレンドには経験豊富な先生たちと先ほどのような心理学を専攻しているカウンセラーが待機している。私は、ぜひとも居場所がなくて苦しんでいる児童生徒だけでなく、一見正常に学校生活を送れている児童生徒にも、利用できる「場」になればよいと思っている。巨大企業がメンタルヘルスに関心を持ち始め、ストレスのかかる経営者たちは個別にカウンセリングを受けるのが当たり前になりつつある社会に出る前に、児童生徒が自分のメンタルと素直に向き合い、サポートを受ける必要があると私は思う。だから校内ハートフレンドに大いに期待したい。
    普段の緊張感のある学校生活から少し抜け出して、家庭環境にも左右されず、自分の心の中にこんな「強み」があったということに気がつく経験を多くの子どもたちにしてもらいたい。そうすれば、義務教育という"過保護な"環境から出ても、しなやかに強く対応できる人間になってくれるのではないかと思う。

令和5年10月 教育委員 伊藤志門

令和5年8月

心が豊かになる出会いを

    皆さんは、これまで、どれだけの人と出会ってきましたか?
    年齢を重ねるほど、出会った人は数え切れないことでしょう。
    出会い方も様々で、たった1度の出会いもあれば、人生が大きく変わるような出会いもあります。中には、事情があって会うことが出来なくなってしまった人もいれば、出会ったことで傷つき、涙を流すような経験をすることもあると思います。
    しかし、人は人と出会わずに過ごすことは出来ません。だからこそ、人生も心も豊かに出来るような出会いを多くしたいと思うものです。
    私自身、早いもので、教育委員として、8年の月日が経ちました。その間に、様々な学校訪問、イベントにおいて、多くの出会いがありました。その出会い一つ一つが心を豊かにし、こののちの人生においても、私自身の糧となっていくものだと思っています。
    教育委員としてそのような出会いが出来たことを多くの皆さまに感謝をし、今後も日進市の教育行政が、多くの素晴らしい出会いによって、充実していくことに期待しております。
    そして、なにより、未来ある日進市の子どもたちに、心豊かになる出会いがあることを願っています。

令和5年8月 教育委員 藤井美樹

令和5年6月

住みよい街に

    朝のテレビで植物が紹介されている番組があります。あの主人公にはほど遠いけれど私も草に熱中していたころを思い出します。草の名前を覚え始めたころ、私が幼い時に遊んだ草にも正式な名があることを知りました。衣類に付くと取れにくいくっつき虫は、オナモミ、アレチヌスビトハギなど。また、穂を抜き取り葉を折って口にくわえて吹くと音が出るピーピー草は、スズメノテッポウ。体験があるものは早く覚えられました。
    最近、歩道に生えている草取りをしました。歩道と車道の間にある縁石に沿ってススキやチガヤが生え少し大きくなっていました。はじめは1センチくらいの隙間に這っていた根が、いつの間にかアスファルト舗装を砕いて根をはり30センチくらいの株になっていました。私は鍬のような道具で根を少しずつ切り、取り除いていました。その時、駐車場に車が入ってきて運転手が降りるなり、私のすぐ近くで??責の声。思わず私が叱られたのかなと思い顔を上げたら、そうではなくて自分の子どもを注意したようでした。やれやれ。その少し前に小学生の付添下校で通りかかった見守り隊の方からは、「ご苦労様です」と労いの声。その後で、分団から分かれた小学生が1人で帰って来たので、早速、「こんにちは」と声を掛けました。その子は、ちらっとこちらを見て黙って通り過ぎました。知らない人に声をかけられても関わらないようにという学校の指導が行き届いているのでしょうか。
    海外の国の中には、自分の家の前の道路は責任をもってきれいにするという話を聞いたことがあります。日進市も家の前に生えている草を取ったりごみを拾ったりとみんながやっていくときれいな街になると思います。また、どんどん新しい人が入ってくる日進市です。どんな人にも出会ったら挨拶だけはするともっと安全で安心な住みよい街になると思いました。

令和5年6月 教育委員 武田立史

令和5年4月

本音の居場所

    子どもへのスマホの影響として、情報モラルに関わることや長時間使用による健康被害などさまざまな問題が挙げられています。しかし、スマホ自体は単なるツールであるため、使い方さえ誤らなければ悪いものではありません。そのツールを使いこなすのが若者は得意です。道端に咲いた小さな花や茜色(あかねいろ)に染まる雲などに、スマホのカメラを向ける姿をよく見かけます。彼らは自分が心を動かされた事象を見逃すことなく大切にすくい取り、インスタグラムなどのSNS上で共有しています。
    そして今、若者たちの間で空前絶後の短歌ブームが起こっているそうです。かつて歌集「サラダ記念日」で一世風靡(いっせいふうび)した俵万智をもうならせるほどの短歌を、素人の若者たちが詠んではSNSを使って発表しているのです。中には中学生や高校生もいます。短歌は、三十一文字の中にどのような風景や心情を込めるか、どんな言葉を選ぶかでその人の感性が問われます。
    そのような中で多くの共感を生むのが、悩みや辛さなどの鬱屈とした感情を詠み表した作品です。SNS上でなら、自分の正体を明かさずに本音を言うことができます。思わず、教室で周囲の視線が気になってしまい、困ったことや辛いことも口に出せずに「普通の顔」をして過ごしている子どもたちの姿が頭をよぎりました。自分を押し殺すというのはどんなに苦しいことでしょう。表情や言葉から推し量るのは難しいことですが、先生方には多感な時期にある子どもたちの心に寄り添う姿勢を持ってほしいと思います。そして教育活動を通して、文学や美術、音楽にとどまらない、それぞれが吐き出しやすい表現や手段を見つける機会を与えていきたいものです。

令和5年4月 教育委員 市来ちさ

令和5年2月

部活動の地域移行導入に期待

    昨年のスポーツイベントであった野球やサッカーの大会では、一つのプレーから試合の流れが変わる勝負の醍醐味(だいごみ)と選手たちの素晴らしい試合展開で日本中が熱戦に沸いた。日本シリーズやワールドカップなどの活躍は、みる人たちに一体感や感動・興奮・勇気を与えてくれた。改めてスポーツの果たす役割には、計り知れない社会的影響力があり、その大きさを痛感した。
    そのスポーツ選手にとって、ベースともなるジュニア期のスポーツ習慣や育成は重要になってくる。今回の部活動の指導を民間スポーツ団体などに委ねる「地域移行」の推進について、国が考え方を提示したことは、中学生らのスポーツに触れる機会を確保するためには歓迎すべきことだと思う。
    日本中学校体育連盟の調査によると、ここ10年で各競技の人口は減少の一途にあり、このまま少子化が進めば、どの中学校でも運動部活動が廃部や縮小の危機に追い込まれ、ますます部活動離れが進むことになる。本来、部活動は「学校教育」の一環とされ社会に根付いているが、教員の働き方の中でその活動は学校単位で教員が原則指導してきた。今、これが長時間労働の一因とも指摘されている。しかし、制限が行き過ぎると、部活動指導の仕事に熱意を持って取り組んでいる教員にとっては、逆に働き方を阻害することにもなる。その場合、休日も指導を希望する教員には、兼職する形で携われる道も考えなければならないと思う。また、今回の地域移行に際して外部指導者になる人は、技術的指導はもちろんだが、生徒(子ども)を第一に考えてくれる人、この地域に住んでいて学校の特性を理解してくれる人などが望ましい。併せて、これらの人材確保や教員の働き方改革のためにも、学校と地域クラブなどとの連携強化を期待したいと思う。

令和5年2月 教育委員 小林秀一

令和4年12月

「ATARIMAE」と「ありがとう」

    サッカーワールドカップの熱戦が報道される中、一つの記事が目に留まった。日本のサポーターが試合観戦後にスタジアムのごみ拾いをしている姿に、現地メディアが驚いているという報道である。メディアのレポーターが、なぜ日本のサポーターがごみ拾いをしているのかを尋ねたところ、サポーターの口から「当たり前です」という言葉が返ってきたという。
    この「当たり前」の意味する適切な翻訳がなかったことから、現地での報道は「ATARIMAE」という言葉で報道された。
    「来た時よりも美しく」は小学生時代に野外活動のオリエンテーションで繰り返し聞いたフレーズである。レポーターは「当たり前」の意味するところに驚愕(きょうがく)し、感謝の言葉を述べていた。そしてその行動の輪が他の国のサポーターにも広がっているとのことであった。
    他人から見ると有難い行動に対して、「ATARIMAE」と言えることは大変誇らしいことである。そして、「当たり前」と言っている人に対して「ありがとう」の謝辞を送ってくれた現地メディアとの関係性は大変麗しいと感じる。
    教育委員会に参加させていただき、教育現場におけるたくさんの「ATARIMAE」を見る機会が得られている。転入・転出が多い日進市において、就学児童生徒の数をきちんと把握して入学・卒業の準備をしていること、給食費の援助やタブレット端末や教科書の無料配付、地域やPTA活動による校外からの援助など、当たり前に提供されている。当たり前に慣れてしまい、提供されないことに腹を立てるよりは、「ありがとう」と言えるようになりたい。この麗しい関係を糧として、新しい「ATARIMAE」が生まれてくると思う。そして、大人の我々が「ATARIMAE」と「ありがとう」を維持していけば、きっと次世代にも伝わっていくに違いない。

令和4年12月 教育委員 伊藤志門

令和4年10月

子どもの安全を守る

    長い夏休みが終わり、2学期が始まった間もない頃、幼稚園の送迎バスに取り残され、園児が重度の熱中症で亡くなる事件が起きました。昨年も同様の事件が起きており、人々の記憶がまだ新しいうちに再び繰り返されてしまいました。教育に携わる者として、子を持つ保護者の一人として、目をそむけてはいけないと、関連するニュースをいくつか見ましたが、胸が苦しくなるばかりで、あり得ないと怒りにも似た感情さえ覚えました。
    皆さんはこのニュースに接し、何を感じたでしょうか?
    何故防げなかったのかと胸を痛め、非難することもあったと思います。
    しかし、私たちがすべきことは、起きたことを簡単に批判するだけではなく、それぞれの立場において、大人が子どもたちの安全を守ることが出来ているだろうかを真剣に考え行動するということです。子どもは、大人のサポートがあってこそ、安心、安全に過ごすことができ、自立に向かって成長していきます。
    今の教育現場、家庭において、子どもたちのよりよい成長の場として、大人がすべき安全の確保が出来ているでしょうか?

・ルールがしっかり守られているか。
・そのルールに無理はないか。
・人任せになっていないか。
・大人の都合になっていないか。

    今一度、考える時間を持ってほしいと思います。
    事件、事故を未然に防ぐためのアプリなどの開発もされてきてはいますが、それもまた、使い方を誤れば、ただの道具にしかなりません。最後は人の目、心によって、いい道具となり得るのです。
    皆が、それぞれの立場において、形だけの「点検」をするだけではなく、自身の心に問いかけ、未来ある子どもたちを守れる大人であってほしいと願います。

令和4年10月 教育委員 藤井美樹

令和4年8月

風景と歴史

    5月末に学校訪問で梨の木小学校へ伺いました。以前にも運動会で運動場を訪れたことがありましたが、そこから見える東の方の景色は素晴らしい眺めでした。米野木駅付近の高いビル、遠くには猿投山の全景が見えました。広々とした風景は実に開放的で、心がゆったりとするような気分になります。そして、今回は各教室の授業を見て回り、4階の廊下から窓の外を見ました。日進市内が一望でき、遠くには日進東中学校、岩崎の御嶽山、瀬戸のデジタルタワー、大学の校舎、そして木曽の御嶽山に猿投山。ずうっとこのままここで眺めていたいと思ってしまいました。毎日、この景色を見ていたら心の中のもやもやも吹き飛んでしまうような気がします。是非、子どもたちに他の学校では味わえないこの眺めの良さを知ってほしいと思いました。また、校舎に囲まれた中庭に目を落とすと日進市の形を模した池にスイレンが。生き物を探しに子どもたちが集まっていました。
    このように、学校の中にあるまたは、学校から見える風景で、自慢できるようなところがあれば、写真に撮って紹介するような試みがあるといいなあと思います。大人の目線ではなく子どもしか分からないような一コマがきっとあることでしょう。各学校のHPなどで紹介されることを楽しみにしています。
    また、梨の木小は市内の中でも比較的新しい学校に入りますが、この地域の歴史をひもとくと江戸時代の頃には、雨乞いや五穀豊穣(ごこくほうじょう)などを願って猿投山の麓にある猿投神社へ(具(だし)()で豪華に飾った馬を先頭に隊列を組んで奉納に行きました。そのときの隊列の先頭は校区である米野木、藤枝、折戸の村々で、先陣を切って行ったこともあったそうです。これについては日進市史に記載されています。
    他の小中学校についても校区の様子について日進市史などで調べてみると新しい発見があるかもしれません。子どもたちにとっては少し難しい文言があるかもしれませんが、是非、手に取って読んでほしいものです。

令和4年8月 教育委員 武田立史

令和4年7月

みなさんで!

    現在、学校現場では「未来を生きる子どもたち」が社会の様々な課題を通して、「学びとは何か」を問い続けながら歩みを続けています。たとえば、

1 制服
    近隣市である長久手市や豊明市は令和4年度から「ブレザー制服」を導入しました。
    本市が何もしていなかった訳ではありません。本市では、子どもたちに、そもそも「制服とは何か」、「式典や入試などに適した服装とは何か」と考えさせたり、熱中症が心配される現代「その時期の気候に適した服装とは何か」を考えさせたり、ときには人権を考える授業などでは「男子はズボンで女子はスカートという概念をどう考えるのか」、「男子は青色の服、女子は赤色の服といった性別で色は決まるのか」などを考えさせたりして、意識の醸成を図っていました。多様性の時代を生きていく子どもたちには、「制服」を切り口にして、多様な考えを尊重できる「学び」を大切にしていきたいと考えております。ブレザー制服を導入することが一番の目的ではなく、学校現場を「話し合いの場」や「学びの場」にしていこうと考えています。

2 部活動
    現在、学校の部活動が「ブラック」として悪者にされています。確かに土日の活動もあり、教員の長時間在校の原因の1つではあります。しかし、これまでの歴史を振り返ると、日本の教育文化に与えた影響は大であり、大きな貢献をしたと考えています。国の方針として「兼職・兼業」を認めることが前提となりますが、指導をしたい教員は指導に参加し、指導したくない教員は参加しない。指導者となった人も家庭の事情で休みたいときは気軽に休むことができる形で、「教員の多忙化解消・働き方改革」を進めながらも、今まで部活動で頑張ってきた子どもたちの「居場所、活躍の場所」を確保しなければいけません。ただ、部活動を地域に移行すれば済むという簡単な問題ではないのです。保護者、地域、行政の方々と「話し合いの場」を持ち、部活動を「未来を生きる子どもたちを地域で支える生涯学習の『まちづくり』」に進化させていこうと考えています。

    一つの課題に対峙(たいじ)したとき、どんな課題に対しても賛否両論があり、様々な考え方の人がいます。市民のみなさんも大変お忙しいとは思いますが、「未来を生きる子どもたち」のためにも、ぜひ、一人でも多くの人に関わっていただき「多様な考え」が当たり前であることを「学んでほしい」と思います。

令和4年7月 教育長 岩田憲二

令和4年6月

想像する力

    私は動植物が好きなので、この日進市からほど近い東山動植物園によく足を運びます。休日は家族連れも多く、目を輝かせた子どもたちでいっぱいです。特に人気を呼ぶのは赤ちゃん動物のいる園舎で、昨春生まれのチンパンジー「よつば」はもちろんのこと、双子のチンパンジー「カラン」と「コエ」も大人気。すっかりやんちゃに育ち、ときにはいたずらが過ぎて大人のチンパンジーに叱られる場面も見られます。そしてそれを眺めている子どもはなんだか嬉し気です。きっと自分の姿と重ね合わせて共感しているのでしょう。
    「人間に最も近い生き物」と言われているチンパンジーは、DNAの塩基配列が人間と98.8%一致し、違いはたった1.2%しかないそうです。そして、より発達した脳を持つ人間だけが持つ能力が「想像する力」であるということも、研究により分かってきました。
    「想像力」とは、現実にはありえない出来事を空想するだけではありません。相手の立場にたって考えたり、それによって相手の気持ちに寄り添ったりするというコミュニケーションに必要な能力でもあります。でも何もないところから「想像する」のは至難の業です。
    教育委員として様々な行事や展覧会などを見せていただく機会が多くありますが、そんな中で感じるのはみなさまの興味・関心を持たれる対象の幅広さや深さです。ご自分の専門だけではなく、一見関係なさそうなものごとにも目を向けられ、そこにご経験も加わってより良い作品や発表につながっておられるように感じます。
    子どもの好奇心は、世の中の様々な事象・出来事へのアンテナを張る訓練によって培われます。そしてその好奇心から得た経験や知識が「想像力」につながることで、他人につらく悲しい思いをさせてしまうような言動を慎み、思いやりの心を育てられるのではないかと常々思っています。そのきっかけづくりの一つとして、ぜひ子どもたちにも人生の先輩方の展覧会や発表会に足を運んでもらえたら嬉しく思います。

令和4年6月 教育委員 市来ちさ

令和4年2月

コミュニケーション

    先日、妻と二人で某サーティーワンのアイスを食べた。ご存じの方も多いとは思うが、アイスを入れるカップかコーンを選べる。食べるのに効率的なカップかと思ったら、妻がコーンを選んでいた。25年ほど付き合ってきて、妻がアイスのコーンが好きだったとは初めて知った。妻が言うには、コーンがあるからアイスが好きなのよと。
    赤池小学校の職員室が開放的で、教師のコミュニケーションの活性化に大いに貢献しているということを学校訪問で教えていただいた。これからの教育は知識伝達だけではなく、情報を活用しつつ、他者との相互理解のもとに問題解決を探っていくことを体験しなければならない。校長先生が言うには、まずは教師間のコミュニケーションを活発にする必要があると。
    最近読んだ「先生はえらい」(内田樹著、ちくまプリマー新書)という本の中に展開されているコミュニケーションの解説が興味深い。筆者は「コミュニケーションの目的は、メッセージの正確な授受ではなくて、メッセージをやりとりすることそれ自体ではないのでしょうか?」と問いかけている。コミュニケーションの本質は「誤解」しつつ「延長」することにあるのだともいう。確かに、相手のすべてを理解したなら、それ以上のコミュニケーションは必要なくなるし、継続したくもなくなる。妻の嗜好に新しく気づくこともコミュニケーションの成果なのだ。「もう、お前の言うことはわかった」と言ってしまったら、コミュニケーションは終了する。相手がいて、うまくは言葉を交換できなかったけど、何か得られたという共同作業がコミュニケーションであり、またその作業をしたいと思うことが大切なのだろう。
    コミュニケーションを教育するということは、奥が深いなあと思わされた。IT活用で効率化の進む中、誤解やもどかしさを内包したコミュニケーションの楽しさやそれによって自分を再発見する喜びを、お互いの息づかいを感じる中で、子供たちが学んでくれることを願う。

令和4年2月 教育委員 伊藤志門

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