教育委員コラム

ID番号 N18201

更新日:2026年04月01日

令和8年4月

子どもたちの言葉に感心して

  教育委員を務めて、今年で3年目になりました。学校訪問に伺うと、子どもたちが自分の考えを自分の言葉で、しかも即座に発表している姿にいつも感心させられます。特に中学生になると、自分の考えや物事の説明をとても分かりやすく、しっかりと話すことができており、その姿には毎回驚かされます。
  私はあまり人前で自分の考えをいうのが得意でありません。「変なことを言っていないだろうか」「言葉遣いはおかしくないだろうか」と考えてしまい、かえって言葉がうまく出てこず、たどたどしくなってしまうことがあります。文章がうまくまとまらず、最後までしっかりと話しきれないこともあります。仕事の関係で人とあまり話さない時期もあり、すっかり語彙力が衰えてしまったように感じています。話していても「やばい」「すごい」といった言葉で表現してしまい、その場の雰囲気に頼ってしまうことも少なくありません。言葉は使わなければ衰えてしまうものだということを、改めて実感しています。そして、鍛え直すことの難しさも感じています。子どもたちにも分かりやすく、相手にきちんと伝わるように日々指導してくださっている教職員の方々には、本当に感謝しております。子どもたちが自分の言葉でしっかりと考えを伝えられる姿は、日々のご指導の積み重ねによるものだと思います。

令和8年4月 教育委員 𠮷田優香理

令和8年2月

物価高によせて

  私事になりますが、ひとり親家庭となって今月でちょうど20年を迎えます。この間、高市首相の「働いて働いて働いて働いて…」ではありませんが、ワークライフバランスとは無縁に、がむしゃらになって働いてきました。特に子供が小さい頃は生活がひっ迫しており、保育園に入園させようにも指定のスモックが買えなくて、お古のスモックを修繕して着せたのを覚えています。
  そのような状況の中、本当に多くの人に助けていただきました。畑の野菜を持って来て下さるご近所さんや、職場に子どもを連れて行くと遊んでくれる職員さんもいらっしゃいました。そうでなくても、困ったことはないかと声をかけてくださる人がいるというのはありがたく、心の支えになりました。
  さて昨年末の、生活困窮者を対象とした各地の炊き出しや食料支援は、これまでにないほどの大勢の人が並ばれたとのことです。普段の生活の中でも、口を開けば物価の話になります。どんなに切り詰めても食べないわけにはいきませんので、そうなってくると削られるのはそれ以外のところとなってきます。生活が苦しい時にあおりを食らうのは、常に子どもたちです。本来なら受けられるはずの教育や体験の機会が減ってしまう可能性があります。家庭での努力だけでは限界があるのです。
  日進市は住みやすい街に選ばれていますが、その理由は公的支援であったり、名古屋市へのアクセスや自然の豊かさだったりとさまざまです。また、フードドライブや子ども食堂などの取り組みは活発ですし、前述のような思いやりに満ちた温かい人の多い土地柄でもあります。困っているときほど、声の掛け合いや助け合いの精神が発揮される街であると思うのです。
  教育委員会としては、図書館や給食等の充実に尽力しています。広報「にっしん」には無料もしくは安価で参加できる体験活動もたくさん案内されています。大変な世の中ではありますが、市民のみなさまの力となれるよう、いつかの恩返しをするつもりで努力していく所存です。「だれもが暮らしやすいまち にっしん」でありますように。

令和8年2月 教育委員 市来ちさ

令和7年12月

合成の誤謬

  先日、ある新聞を読んでいたら羽生善治「永世7冠」がこんなことを言っていました。今後の将棋界についてのコメントだったのですが、教育界にも、社会全体にも当てはまるのではないか?と思い紹介させていただきます。
 「AI」による研究は、以前から行われていましたが、藤井聡太「7冠」の登場により、その研究は一段と加速されたようです。しかし、我々が「AI」を使いこなすのか?使われるのか?が重要な部分で、「将棋」に限らず「合成の誤謬」という考え方を大切にしながら研究し続けていくことが、人と人とのコミュニケーションを大切にした文化であると述べています。
「合成の誤謬」とは、一人ひとりが正しいとされる行動を取った結果、全体としてみると悪い結果をもたらすという意味だそうです。今や将棋の対局では、「AI」による次の手を予想する場面を必ず目にするようになって来ました。そんな中、今を代表する藤井聡太「7冠」のすごさは、「AI」が正解?とか、確率が高い?と、予想する次の手を十分に理解した上で、人としての「個性」「独創性」で上回ることができる点だと言われています。人間力なのかもしれません。我々教育に携わる者として、どこまで行っても、人の幸せのためにあるものの一つに「AI」や「コンピューター」があることだけは忘れないでいたいものです。


令和7年12月 教育長 岩田憲二

令和7年10月

「ハンディとは思わない」強い精神力

  9月に入っても連日の猛暑続きで、この異常気象は体力消耗が大きく辛い。暑さ対策で試合開催時間の調整がなされた今年の高校野球甲子園大会も終わり、地元の県岐商(県立岐阜商業高校)がベスト4に進出する活躍があり大変盛り上がった大会になった。また、このチームで日本のジム・アボットとして話題になった選手がいた。外野手で守備・打撃につき、左手に障害を持ってのハンディも感じさせないプレーには、誰しもが感動したと思う。

  もう35年ほど昔になるが、日本代表チームの投手コーチとして渡米した日米大学野球選手権大会でのことを思い出した。対戦した全米代表選手の中に左腕で速球派のジム・アボット投手(99年引退・現在58歳)がいた。生まれつき右手の手首より先がない選手だったが、その動きは素早く、右こぶしと脇にグラブを挟んで左腕から豪速球を投げ込み、すぐさま左手にグラブを持ち替え守備につく動作は神業としか言い様がなかった。大学3年生のエースであった彼は、とても明るく障害に対しての暗さもなく何事にも物怖じせず堂々とした学生だったと思う。当時の日本では、考えられないことで障害があることで競技スポーツに参加することは皆無であったと思う。幼少期から庭に出て父親とキャッチボールを楽しみ、遊びから本格的なスポーツに取り組める環境と姿勢は、多様性と自主性を重んじる米国だからこそかも知れない。ソウル五輪に出場し金メダル獲得、大リーグのエンゼルスに一位指名され、通算87勝を挙げる活躍で成功を収めている。

  何よりも彼は、そのハンディキャップに同情されることを嫌っていたし、全くの健常者として努力をしてきたと言っている。彼の意志の強さは、勇気と希望を与える。

令和7年10月 教育委員 小林秀一

令和7年8月

「ユーモア」のすすめ

   最近、「ユーモア」という言葉を耳にしなくなった。厚生労働省の推奨する「人生会議」、の普及グッズの一つに「もしバナゲーム」というものがある。人生の最期まで大切にしていたいと思われる事柄が、カードに文章でかいてあり、ポーカーゲームのように数名が自分の手持ちの5枚のカードと"場"にあるカードを交換していき、各プレーヤーが交換するカードがなくなった時点で終了し、手持ちのカードを見せ合うというゲームである。それぞれが大切だと思っている事柄が意外と違うということを体験できる。その中に「最後までユーモアを持ち続ける」とうカードがあったのだが、日本版の「もしバナゲーム」ではそのカードがなくなっていた。「ユーモア」は、今の日本人にはなかなかピンとこない言葉なのかもしれない。
   「ユーモア」の語源を調べると、ラテン語の「humor(フモール)」で、元々は「液体」や「水分」を意味する。古代ギリシャの医学では、体内の血液、粘液、胆汁、黒胆汁の4つの体液のバランスが、人の気分や性格に影響すると考えられていたため、この考え方が中世ヨーロッパに伝わり、人間の気質を表す言葉と結びついたようだ。「ユーモア」と医学が絡んでいたとは知らなかった。
「ユーモア」は人を傷つけない上品な「笑い」と定義される。「笑い」は現代社会においてコミュニケーションの鍵となっている。テレビにはお笑い芸人があふれ、今の学校では、足の速い子より笑いの取れる子の方が人気者になるらしい。「笑い」を取ろうとして失脚する大臣もいれば、緊張している雰囲気が「笑い」によって和むこともしばしば経験する。ホスピタル・クラウンなど「笑い」がもたらす免疫効果は医学的にも証明されている。
   現代社会にあふれている「笑い」の品質はどうであろうか?教育委員会でも「いじめ」と「いじり」について議論したことがある。「いじり」によって生み出される笑いは果たして人を傷つけていないのだろうか?SNSで特定の人を取り上げて「笑い」にすることはどうだろう。些細な「笑い」がいじめへと発展することだってある。今一度、自分の醸し出す「笑い」について検討する必要があるだろう。
   学校生活は、人が家庭を出て初めて経験する他人とのコミュニケーション社会である。そのような現場であればこそ、人を傷つけず、人を幸せにする「笑い」である「ユーモア」を再認識してみてはどうだろうか。まずは自分の周囲の「笑い」から検証してみようと思う。

令和7年8月 教育委員 伊藤志門

令和7年6月

教育の現場で見えたもの

   教育委員に就任してから2年が経ち、多くの方々と関わり、お話を伺う中で、子どもたちが多くの人に支えられていることを実感しました。日々、子どもたちのために尽力されている学校関係者の皆様には、心より感謝申し上げます。

   一方で、学校が抱える問題の複雑さにも気づかされました。
   学校訪問の際に、無気力な様子の子どもや、教師に対して挑発的な態度をとる生徒の姿を目にしました。参観日では見ることができない日常の学校の一面を知ることができたのは貴重な経験でしたが、その現実に心がモヤつき、どう受け止めるべきか悩みました。
   そうした子どもたちの姿は、家庭でのしつけの影響なのか、それとも成長の過程で自然に落ち着いていくものなのか。あるいは教師の指導力の問題や、学校そのもののあり方に原因があるのかもしれません。いずれにしても、教育がいかに繊細で難しいものかを痛感させられました。
   保護者ならではの目線を通して、子どもたちの健やかな成長を支える教育の在り方について考え続けていきたいと思います。

令和7年6月 教育委員 𠮷田優香理

令和7年4月

集金と草刈り

    数年前に65才になりめでたく老人会へ加入した。この会費は地区の係が一軒一軒家を回って集金してくださる。大変なので口座引き落としにしたら、楽になるのにという意見があるそうな。
    あるとき、老人会の会長に会ってこの話をした。たとえ少額な会費でも年に1回顔を合わせて、会員と言葉を交わし元気に暮らしているか様子を尋ねるなど、安否を確かめる大事な仕事の一つである。本人がいなくて、家族から入院や介護施設へ入所しているというような話も聞けるかもしれない。だからこれからも続けていくという。会費集めは大変だけど手間を惜しんではいけない本当に大切なことだと改めて思った。
    もう一つ同じような話がある。毎年7月末に排水路の草刈り、整備を実施している。市内の中で実施している区はもう数えるほどしかないらしい。早朝6時から作業を始めるが、暑くて熱中症が心配、参加者が高齢化し草刈り機の操作に不安、深い側溝に落ちて怪我をするおそれ、マムシが出て危険などがあり、年々参加する町が減ってきたようである。そこで、そろそろ草刈りをやめるべきではないかという意見が私の地区でも出た。そうしたら、先輩が、年に1回顔を合わせる大切な機会なので、たとえ時間を短くしてもやるべきだ。極端な話をすれば、お年寄りは顔を見せるだけでもよい、歩けるなら何もしなくても一緒に付いて散歩するだけでもよい。とにかく、みんなが顔を合わせ語らい、お互いの無事を確認し合うことが大切だ。この地区だけでも続けていきたいと意見を述べられた。私もまったく同感だと思った。
    教育のDX化が急速に進み、学校の働き方改革がよりよい方向に向かいつつある。教員と児童生徒、教員同士、児童生徒同士、教員と保護者などの関係において、顔と顔を合わせ、表情を見て、声の大きさ調子を聴き、匂いを嗅ぎお互いにそれを感じ合いながら話をすることの大切さを時には思い返す必要があると思う。

令和7年4月 教育委員 武田立史

令和7年2月

ご近所づきあい

    昨年10月に教育委員二期目を迎えました。一期目はあっという間の4年間であり、ひたすら勉強させていただく日々でありました。日進市の教育に携わらせていただけることをありがたく思い、市民のみなさまに寄り添えるよう全力で邁進してまいりますので、引き続きどうぞよろしくお願い申し上げます。

    さて、私は毎日岩崎川沿いを朝晩1時間ずつ愛犬と散歩します。その際さまざまな人とすれ違うのですが、学区である北小学校や日進中学校の子どもたちは、元気の良い挨拶やにこやかな会釈してくれることが多く、その健やかさにとても嬉しい気持ちでおります。
    そんな中で、いつも犬を撫でてくださるご夫婦が、最近ご主人一人で散歩されるようになっていることに気づきました。奥様はどうされたのかと心配になり、あまり立ち入ったことをお伺いするのも失礼かと思いつつもお声かけしたところ、寒いから留守番をしているだけで元気だというお返事に胸をなでおろしました。
    昭和の時代には普通にあったご近所づきあいが失われつつある中、この辺りは比較的それが残っています。以前には、朝のラジオ体操でお姿の見えなかった一人暮らしのご高齢の方を、体操仲間が安否を気づかってご自宅まで訪ね、転んで動けなくなっておられるのを発見されたことがありました。また、近所の子どもたちが揉めていると、見かけた大人はまずは話を聞き、ときには叱ることもあります。昨今、我が子ではない子どもを叱るというのは敬遠されがちですが、本来なら大人として、人生経験の浅い子どもに向き合うのは大切なことです。地域の子どもは保護者の方や学校の先生だけではなく、地域全体で育てていくのが望ましいと考えます。
    ご近所づきあいは面倒だという考えが多くなってきたのは、昔と比べて誰もが忙しくなり、心の余裕を持てずにいるからではないでしょうか。でも、どんなことでも面倒臭いと呼ばれるものの中に豊かさがあるのです。私自身も、近所の方々に数えきれないほど助けていただきました。世の中には孤独感にさいなまれ、SNSでつながっていないと不安で仕方がない子どもや若者が沢山います。それが救いや居場所となっている場合もあるものの、あまりにも依存してしまうのは危険です。また年代を問わず、コロナ禍で私たちは人と人とのリアルなつながりの大切さを再確認しました。
    令和の時代だからこそ、互いに一歩踏み出して関わり合うことで、より豊かな人生を目指すことができるはずです。そのためにも、学校教育や生涯教育において、出会いやつながりの場と機会を増やしていけるよう努力してまいります。そしてその中にご近所づきあいを改めて加えていただけたら、こんなに心強いことはありません。

令和7年2月 教育委員 市来ちさ

関連情報

この記事に関するお問い合わせ先

学習政策課
電話番号:0561-73-4169  ファクス番号:0561-74-0258

ご意見・お問い合わせ専用フォーム