教育長所信表明

ID番号 N13132

更新日:2022年06月07日

はじめに

    この4月より、日進市教育委員会教育長を拝命しました、岩田憲二と申します。
    世の中が多様化、複雑化し、多くの課題が山積している現在の時代を考えると、職責の重さを痛感しておりますが、日進市民のため、子どもたちのため粉骨砕身の思いで課題解決に取り組み、この重責を全うする所存です。
    市民一人ひとりが生涯を通じて学び続け、充実した市民生活を送っていただけるよう、市長部局と連携しながら、議会の皆様、市民の皆様と力を合わせて頑張っていきたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
    本日は、教育長就任に際しまして、この場をお借りして私の想いや考えを述べさせていただきます。久保田前教育長に続き、学校教育出身の教育長として、特に思い入れが強い子どもたちの学び、学校教育を中心にお伝え申し上げます。

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所信表明する岩田憲二教育長

「だれひとり取り残さない教育」の推進

    生きづらさや不安を感じて苦しんでいる、多様な個性を持つ子どもたちに対して、心の面から「だれひとり取り残さない教育」を推進し、子どもたちに寄り添う受け皿を用意することが急務です。
    私は、教員生活39年、うち33年間を日進でお世話になりました。初めて日進に赴任した平成元年、日本の学校は校内暴力の真っただ中でした。今では想像もつきませんが、御多分に漏れず、当時の日進町内も荒れていました。学校に入れば、シンナーのにおいが充満し、授業に出ずにタバコを吸っている生徒もいました。注意をすれば取っ組み合いになり、授業が成立しなかったこともありました。そんな状況の中、ちょっかいをかけられ学校に登校するのが怖いと思う生徒や、心を痛めて出勤できない教員がいました。私の教育の原点は、「生徒には、二度とこのような悲しい思いをさせない!」「教員には、普通の授業を普通に行える学校にしたい!」であります。
    では、令和4年。今は、落ち着いているのでしょうか。
    現在のところ、大きな事件・事故は聞いていません。それは、すなわち「落ち着いた学校」なのでしょうか。ひょっとしたら私たち大人が子どもたちのSOSに気づいていないだけなのかもしれません。
    多くの人が落ち着いていると感じている今こそ、教育活動を今一度見直さなければいけないと考えています。
    日進市では、荒れが表面化している学校はありませんが、その反面不登校の子どもや、悩みや不安・心に闇を抱え苦しんでいる子どもが増えてきています。他人の言動が気になったり、人の言葉が原因で生きづらさを感じたりすることで、他人と関わることが怖くなり、人を避け、ゲームやスマートフォンの世界に入り込み過ぎて、自分の部屋に閉じこもってしまう子どもたちが増えています。
    一般的に普通と言われる子どもでさえ、外で活動的に遊ぶ姿を見かけなくなりました。登校する姿にも活力が無く、あいさつをしても無反応で、生気を感じられない子どもが増えて来ているのも気になります。今、子どもたちのエネルギーが外に向かった荒れの時代から、エネルギーが内に向かった不登校の時代、心に闇を抱えて苦戦する時代に変化してきています。
    そんな時代を、落ち着いている、何も起こっていないと勘違いをしていると、子どもたちの内に向かったエネルギーが変質した形で暴発し、昔よりも重大な荒れにつながるのではないかと危惧しています。
    子どもたちは愛情に飢え、自分の居場所を探し求めていることは昔も今も変わらないと思っています。昔に比べれば、居場所の選択肢は増えてきているものの、まだまだ不十分です。時代は豊かになったと言われていますが、愛情が行き届いていることとイコールではありません。逆に豊かさの中で不安を感じ、自己肯定感の低い子どもや大人が多くいるのも事実です。
    生きづらさや不安を感じている子どもたち、自己肯定感の低い子どもたちに対しては、きめ細かく寄り添った対応のできる、ハートフレンドのような場が必要不可欠です。まだまだ、交通の便など様々な理由で通うことを躊躇している子どももいます。何とか、救わなければいけません。

    学校には来ることができても、何らかの理由で学習に対して意欲が低下したり、無気力になったりしている子どもたちに対して、生活面・学習面から「だれひとり取り残さない教育」を進めていきたいと考えています。
    こうした子どもたちの多くは、様々な支援がある中でも、既に小学校時代から授業内容が分からないまま黙って座り、授業を受け続けていたのだろうと想像されます。その子どもたちが中学生になったら、それまでにも増してその場に居づらくなったり、教室が息苦しくなったりすることは簡単に予測できます。授業を受けながら、何を説明しているのか分からないといった状況が毎日ずっと続くのは、本人にも、私たちにとっても、大変つらいことです。
    私も高等学校時代に授業についていけなくなった経験があります。かつては、授業が分からなければ、まずどうやって時間をつぶそうかと考え、ノートを取るふりをして授業時間をやり過ごします。それに飽きてくると友達にちょっかいをかけたり、眠ったりし始めます。そこで教員が注意すると、よく衝突し、暴力行為が起きていました。
    しかし、今の子どもたちは、授業中はよい子を演じている一方、提出物を出さないとか、教科書など授業の用意さえ持って来ないといった行動でその不満を表現します。そのような子どもを、絶対に出さない努力を続けながら、学校現場では次の手を打っていこうと考えています。
    私の父親も教員でありました。父は、特別支援教育一筋で頑張っていました。私が子どもの頃、自分の家に訪問して来る聾学校の生徒さんと父親が、手話を使って話をしている「そんな日常」で育ちました。私自身も、教員生活4年目に特別支援学級を任され、指導方法など無我夢中で勉強しながら担任をしていました。ある時、特別支援学級に通う生徒の保護者に言われた言葉が、今でも私の心に大きく響いています。
    「私たちは、自分の子どもが少しほかの子どもと違うと感じてから、それを治してもらえると言われる病院は、日本中すべて回りました。本という本は、すべて読みました。先生の一生懸命な姿には心から感謝しますが、私たちは、義務教育が終わっても、一生この子と付き合っていかなくてはいけません。特別支援学校という選択肢もありますが、地元の友達の中で『一人でも多く』大人になってからもこの子に関わってほしいのです。それでも私たちはこの子よりも先には死ねないのです。だから、目先の漢字や計算ではなく、地元の子どもたちと『たくさん』関わらせてくださいね。」という切実な声でした。
    生活や学習に適応することが苦手な子どもたちに対して十分な通級指導を行うために、また、特別支援教育についても、子どもたちが地元の小中学校で個別の指導を受けられるよう、その支援のために必要な体制の強化を図っていきます。

「だれひとり取り残されない社会」の実現へ

    学校で普通に生活している子どもたちの中には、LGBTQのような性的マイノリティと言われる子どもたちや、そのことに気づいていない子どももいます。多様性を理解し、人との違いに関しても皆が普通・当たりまえと思える社会にしていく必要があります。
    私は、日進中学校の校長時代、体育大会の開会式にセーラー服のスカートをはいて臨みました。それは、生徒から「女の子でもズボンをはきたい」という声が出てきていたからです。男性である私がスカートをはくことで、全校の生徒が性的マイノリティなどの人権について考え、話し合うきっかけになればとの思いからでした。来賓や保護者の方々はびっくりされたようですが、生徒らは、日ごろから多少なりとも性的マイノリティへの理解が進み、私の人となりも知っているので、笑い声も起きませんでした。生徒にとっては普通であり、当たりまえの事象だったのです。
    今年度、近隣市である長久手市や豊明市の中学校が、ブレザー制服を導入しました。本市でも、多様性の時代に対応した制服の実現に向けて、現在、日進市中学校制服検討委員会において、子ども・学校現場・保護者などの意見を取り入れながら話し合いを進めています。多様性の時代を生きる子どもたちを幸せにするためには、子どもの時代から多様な選択肢を用意することが大切であり、多様な考えを尊重できる学びを進めることが重要だと考えています。

    子どもたちも生きづらさに苦しんでいますが、現代の問題はそこに止まりません。保護者も苦しんでいます。少子高齢化、核家族化などが原因で子育てに悩み、相談する相手がいないため、子育て世代が孤立する傾向にあると考えています。
    現在、私には3歳と5歳の孫がいます。娘の家庭は共働きで帰りは遅く、保育園にお世話になっています。「じいじ」である私や「ばあば」である妻も、よく子育てに駆り出されます。現代は、働きながら親一人で子育てするのは難しい時代なのです。若い子育て世代が、悩みを抱え苦しむ様子を現在進行形で見ていると、既に社会全体で支えていかなくてはいけない時代に入っていることを実感しています。
    私が指導主事時代に、スクールソーシャルワーカーを学校現場に導入しました。今では、各中学校区に1名が配置され、学校現場の教員、スクールカウンセラー、心の教室相談員と協力して、子どもたちや保護者に寄り添い、専門機関と連携を取りながら支援をしています。
    教員は、教員の多忙化解消・働き方改革の中、子どもたちに寄り添おうと一生懸命頑張っています。しかし、子どもたちや保護者のみなさんに十分な支援ができているのかと問われると、支援が十分に行き届いていない子どもたちや悩みを抱え苦しんでいる保護者がいるのも事実です。何とか教員の働き方改革を進めながら学校支援体制を充実したいと考えています。学校現場を助けるには、教職員等の増員が必要であり、「国・県」に働きかける努力は続けながらも、市教育委員会としても対応を考えていきます。
    また、学校をとりまくこれからの時代には、地域学校協働活動を活発化させることが重要です。学校現場や専門機関、地域、家庭、民間企業などと連携し、地域ぐるみで子どもたちの成長を支援できる教育を実現するために、地域学校協働本部を充実させ、「だれひとり取り残されない社会」につなげていきたいと考えています。

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令和4年 第2回日進市議会定例会

生涯学び続けるための力を得るために

    愛知県教育委員会が検討を進めている県立高等学校の附属中学校併設による6年間の中高一貫教育制度の導入を参考に、特色ある新しい学習の在り方を研究するとともに、施設改修の課題の解決にもつながる可能性についても考えていきます。
    昭和の時代に建設が進められた本校舎を含めた施設が、改修の時期を迎えています。全国的には少子化で学校の廃校や統合が進められていますが、本市は開発が進み、しばらくは子どもたちの増加傾向が続きます。必要な施設の改修を行いながら、今後の児童生徒数を見極め、学区を見直して学校間の学級数の偏りをなくすことで対応するのか、校舎を増設するのか、分離新設校を建てなければならないのかを考え、良好な教育環境の整備に取り組んでいきます。
    また、将来の少子化を見据え、学校施設を有効活用した生涯学習活動の推進につなげることが可能と考えており、あらゆる視点で調査・研究を行っていきます。
    さらに、給食センターの計画的な改修、適切な修繕を進めることはもとより、給食の作り手や、農業者・畜産業者のことを思いやる心を醸成し、そうした仕事への理解を深める食育も充実させていきます。子どもたちが学びながら、ありがたみをもって楽しく食べることのできる給食を、安全・安心を第一に提供していきたいと考えています。

    義務教育が終わってからでも、社会に出てからでも、地元日進市において学び成長することができる。そして、日進市に根を下ろし、社会の役に立つ。そんな教育を展開するために、組織改編を含めた体制強化を図りたいと考えています。     私が、社会教育主事として教育委員会に在籍していた平成12・13年度の2年間で、日進市生涯学習4Wプランを作成し、現在の第5次日進市生涯学習4Wプランに至っています。人生は、生涯学習です。「いつでも」「どこでも」「だれでも」「なんでも」学習し続け、社会に役立ちながら豊かな人生を健康で送る。そんな日進市を目指していきたいと考えています。
    ともすると、学校現場では「見える学力」と言われる、テストの点数や通知表の評定などが重要であると勘違いする傾向があります。しかし、みなさんも実感されているように、いくら点数が良くても、一般的に良い学校と言われる高校・大学を卒業しても健康を損なったり、心が病んでしまったりしては元も子もありません。それよりも、「見えない学力」と言われている力こそが重要です。一生涯学習し続けられる「やる気」「失敗しても立ち上がる力」「苦しいときに諦めない心」「お互いの力を合わせる協調力」などを身につければ、何歳になってからでも学習は始められるのです。
    その「見えない学力」は、「知徳体」の相互関係から生まれてくると考えています。そして、いざという時の底力につながるのです。「見えない学力」をつけ始めるのに、もう遅いということはありません。「教えられる」という受け身的な学びの段階を卒業し「自ら学ぶ・学びたい」という自発的な学びを後押ししたいと考えています。そうした、「自ら学ぶ・学びたい」を実現するための生涯学習環境を、今まで以上に整えていきたいと考えています。
    学びの最終目標は、知識の習得ではないと考えています。得た知識を知恵に成長させ、日常生活での行動・実践にまで昇華させ、人生の中で自己実現を図ることが大切です。地域の資源・土地・施設などを有効活用しながら、人材も有効活用し、市民参画の形で行政の関係部局が協力し合って「自分たちのまち」を創り出していくこと、これがすなわち「生涯学習」なのだと考えています。市民の皆さんが現代社会の問題を自らの問題として主体的に捉え、人類が将来の世代にわたり恵み豊かな生活を確保できるよう、持続可能な社会の創り手を育むESDに取り組んでいきます。

    現在、学校現場は働き方改革が進む中、部活動のあり方が問われています。部活動は、今までの日本の教育文化でもありました。その教育的効果は、私が言うまでもありません。しかし、朝練習、俗に言う朝練は、指導者側から見れば勤務時間外労働です。日没が遅い時期には、放課後に行う部活動の終了時間が勤務時間外に入ることも多々あります。部活動をしたくて教員になった私は、家庭を顧みず、朝は7時前から朝練し、土曜日、日曜日もなく部活動をしていました。
    先ほど述べました子育て世代が孤立している現状を見ていると、自分の家庭を顧みず部活動に専念していた自分自身を恥ずかしく思いますし、それでも我慢して子育てをしていた妻には、感謝の気持ちでいっぱいです。よそ様の子どもは育てられたかもしれませんが、自分の子どもは育てなくていいのかと、天からお叱りの声が聞こえてきそうです。
    そこで、現行の法律を守りながら日本の教育文化である学校部活動を継続するためには、部活動のあり方を改めなければいけません。
    文部科学省は、休日の学校部活動の地域移行について、令和3年度以降に計画を明らかにし、令和4年度に調査、令和5年度すでに活動している地域団体での受け入れを開始、令和6年度本格推進を目指しています。今、日本の教育は大きく変わろうとしています。生涯学び続ける大人が、未来に生きる子どもたちに関わることのできる未来型の部活動・地域スポーツクラブを模索し、実現していきたいと考えています。

    デジタル機器の発達により、私たちは多くの利便を享受する一方、デジタル機器に依存し、人生を豊かに生きていくうえで必要な時間を取られ過ぎています。そんな中、人として社会の役に立ち、自己実現するためには、何が大切なのかと問い続けながら、生涯学習の「学び」を模索していきたいと考えています。
    今、スマートフォンなどが原因で、人類の10人に1人が、「うつ」などの精神疾患を抱えていると言われています。また、デジタル機器に時間を取られ、読書離れが進んでいると言われています。
    GIGAスクール構想の考えの根底にもあるように、現代はコンピュータなどのデジタル機器なくしては、多くの仕事は成り立ちません。10年後には、AIが人の仕事の半分に取って代わる時代になるとも言われていますが、これからの時代も変わることなく、自分の人生は自分で歩んでいくしかありません。AIに使われるのではなく、AIなどのコンピュータを上手に使いこなすことのできる柔軟な頭脳が必要です。柔軟な頭脳は、自らの実体験や読書などによる疑似体験の多さから生まれると言われています。そこで、SNSやゲームに依存し、振り回されることなく、上手に付き合いながら時間的なバランスを取り、読書などで柔軟な頭脳を養うことが大切です。
    これは、子どもたちに伝えるべきことの一つですが、我々大人たちにも言えることでもあります。どこの世界でも、すばらしい頭脳を持ちながらも、それを発揮できずに心が病む人が増えてきています。画面からの光のない書籍は、心を落ち着かせる効果があります。そして、生まれつき持っている無限の才能を生かすためには、知能面・体力面だけではなく、読書などによってそのバランスを上手に取ることのできる柔軟な頭脳を獲得し、疑似体験を数多く積むことが欠かせません。
    そのための支援のひとつとして、デジタル機器を上手に活用することにより、便利で魅力ある図書館の機能を充実させながら、読書の魅力を引き出したいと考えています。まずは、市立図書館と学校との図書資料の共有化を図ることで、より新しい時代に対応した本や、自分自身に適した人生を豊かにしてくれるような本を、手にすることができるようになると考えています。また、子どもたちの授業や読書活動における環境の充実化も進めていきたいと考えています。
    「教育は人なり」と言います。私は、目先の評価や点数にとらわれない、「見えない学力」の習得を重視した「人づくり」の教育を展開していきたいと考えています。

むすび

    今まで出会ってきたすばらしい子どもたち。誰もがすばらしい可能性・才能を持って生まれてきています。その将来に大きな影響を及ぼす大人。我々大人は、「今どきの若い者は」「今どきの子どもたちは」と、口で言いながら自分自身の行動に責任を持って行動しているのでしょうか。自分たちがしていないことを「~しなさい!」と言っていないでしょうか。自分たちが子ども時代に、自分の子ども以外にも愛情をもって叱ってくれた近所のおじさん・おばさんたちのように、自分の子ども以外にも声をかけているでしょうか。
    いつの時代も子どもたちは親の鏡。いや、大人の鏡です。交通安全指導で交差点や横断歩道に立っていると、子どもたちが通学しているにもかかわらず、子どもたちの横をわざとエンジンをふかし、さらにスピードを出す大人がいます。その中には交通指導の人に、「どうして止めるんだ!」「どうしてそこに立っているんだ!」と暴言を吐く。そんな大人さえいます。そんな大人の姿を子どもたちはどう見ているのでしょうか。ご想像のとおり、子どもたちは、「あんな大人になりたくない!」「大人になってよ!」と言っています。「何をやっているんだ!」と、他人やよそのせいにするのではなく、まず、自分自身の行動を振り返ることのできる大人でありたいと思います。社会の大人一人ひとりが、将来大人になる子どもたちの目を意識して、大人がお手本になる社会を目指したいものです。

    名古屋生まれの作家、城山三郎が第5代国鉄総裁・石田禮(れい)助(すけ)の生涯を描いた著書のタイトルであり、石田による所信表明演説の言葉、「粗にして野だが卑ではない」に共感するところがあります。私も粗雑で野蛮ですが、卑怯・卑劣なことはいたしません。地域や現場の声に耳を傾け、私心を持たず、開かれた教育委員会、開かれた学校を目指して、正義感を持って様々な施策を堅実に実行・実践していくことをお誓い申し上げて、所信とさせていただきます。

    日進市民や未来に生きる子どもたちのために、ともに頑張りましょう!

この記事に関するお問い合わせ先

学習政策課
電話番号:0561-73-4169  ファクス番号:0561-74-0258

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